人間関係の不和や魔物の影響を防ぐサンゴ
喜連川宝石研究所 所長 喜連川純氏著

◆ だじゃれの大好きな珊瑚 ◆
サンゴの硬さは三・五。結婚三十五年はサンゴ婚。
「英王室では、赤ちゃんが生まれるとき、産室にサンゴを飾っておくと母子ともに健康で安産」だとか、これは那覇のサンゴ屋さんの店先でみつけた看板の文句。
へぇーきっとさんごの肥立ちがよくなるんだ・・・。
それにしても英王室に日本のだじゃれが分かるのかなぁ。
私は思わず苦笑してしまいました。
と、いったぐあいにサンゴにまつわるお話しはだじゃれで覚えることがいっぱいあります。
ちなみに硬度三・五は、十円銅貨よりやや硬く十八金ぐらいの硬さ。銀婚、金婚、珊瑚婚式など結婚式を祝う風習はドイツではじまり、そのごヨーロッパ全域にひろまったものです。
わが国で最初に銀婚式をやられた方は明治天皇(明治二十七年・一八九四年)で、これを機に一般でも結婚記念日を祝うようにしました。
◆ サンゴは海産動物の骨軸です ◆
水中花というのをご存じでしょうか。そうです。水のなかに入れると、開いて草花などの形になる造花です。
サンゴも生きているものは、海の中でポリプ(個虫)の触手が花びらのようにヒラヒラとゆれ動いていて、さながら海に咲いた水中花のように見えます。植物とまちがわれるのもむりはありません。
じっさい十八世紀半ばくらいまで、サンゴは植物でできたものとばかり思われていました。
が、サンゴは腔調動物で植物ではないのです。
「サンゴは植物ではなく動物である」と、従来の考え方をくつがえしたのがフランスの科学者ペイソネルでした。
しかし、彼の主張が認められサンゴが動物だとフランスの科学会で認められるようになったもは、実に、彼が最初に動物である主張してから二十八年たった。一七五三年になってからのことでした。
サンゴには沖縄でみられるサンゴ礁(イシサンゴやツノサンゴのい遺骸があつまってできた
石灰質の岩礁)をつくる「六放サンゴ」と、宝石として使われている「八放サンゴ」があります。
六放とか八放とかは、それぞれ個虫の触手が六本またはその倍数であるとか、または、八本であるとかいうことです。
六放サンゴは造礁サンゴとして、ポリプをささえる骨格の遺骸でサンゴ礁や島をつくり、いっぽう、八放サンゴは水深百メートル~千メートル以上という深海の岩など固着して樹枝のような形で成長していきます。
六放サンゴの成長は、浅い海のため太陽の恩恵もうけやすく、年間で約五~七センチも大きくなり、その寿命も四十年から五十年といわれております。それにくらべ、宝石サンゴのほうは一年で約四ミリ(長手方向)しかのびません。
ただ寿命はながく、四百~五百年もいきつづけることができます。
おなじサンゴという名前でも六放と八放とでは、まったく希少性やちがうということがおわかりに頂けたでしょうか。
よくハワイで売られている黒サンゴは、この六放サンゴのほうになります。
◆ もう少し詳しく成長過程を見てみましょう。 ◆
サンゴの個虫のことをポリプといいますが、最初はひとつのポリプが岩などにくっつき、それが成長するこつれ分裂をくりかえし、ついには、何万個もの群体になります。
そして、その骨軸どうしはしっかりくっついていて、あの樹枝みたいなかたちになるのです。
面白いことに、ひとつひとつの骨軸のまわりにはうすい皮があり、その皮にはまわりにはうすい皮があり、その皮には網のような脈管がはいっていて、個虫(ポリプ)の胃腔とつながっています。
そして、その脈管はべつの個虫にもつながっているので、ある個虫からとられた栄養は、ほかの個虫にもいきわたることになります。
つまり、個虫のかずが何万個になっても全体としては一つの動物ということになるのです。
このようにしてポリプが増えてできた固体を群体といっております。
宝石として使われているサンゴとはこの群体の骨軸のことなのです。
このようにサンゴは生き物ですから、とうぜん寿命がくると死にます。
宝石サンゴも、生きて活動しているものを生木(せいき)または新木(しんぎ)といい。
また、岩などに固着してはいますが、サンゴ虫はすでに死んでしまっているものを枯木(かれき・しゃれき)。枯木が海底におちて、サンゴの外部が腐蝕しているものを落木(おちぎ)。
内部まで腐蝕がすすんで商品にならないものを虫といって分けております。
よく、サンゴをタンスにしまっていたら、虫にくわれてあちこと穴があいてしまった、という話を耳にしますが、サンゴはべっ甲とちがい、虫に食べられることはありません。
たいていは、もともとあった穴に汚れがついて目立ってきたとか、海外でよくやっているように、穴を歯科用のレジンで埋めてごまかしていたものが取れてしまったものです。
サンゴは化粧品とか酸性のもの、とくにレモン、汗などに弱いので、もしついてしまったらサッと水で拭き、水分も完全にからぶきでとってからしまって下さい、洗剤はなるべく使わないほうがいいでしょう。
◆ サンゴの色と産地 ◆
サンゴは、紀元前四〇〇年も前にできた仏典にすでに七宝の一つとして取り上げられており、歴史も古く地中海産のサンゴは胡渡りサンゴとして、シルクロード一帯はもちろん、わが国にも貴重なものとして入ってきました。
文化九年(一八一二年)十一代将軍徳川家斉のころ(ナポレオンがロシアに敗退した年です)、
日本の土佐沖でサンゴが漁師の網に引っ掛かり、それ以降現在までに、高知、東シナ海、八丈、小笠原近海、ミッドウェーとつぎつぎに発見されるようになり、いまや日本は、産地としても高度な珊瑚細工の国としても、世界一の国になってしまいました。
現在、ほとんどとれなくなってしまったイタリアには、逆に日本からサンゴの原木を輸出しているほどです。
先日テレビのレポーターが、舞妓さんに、「ご出身はやはり京都ですか」と聞いたところ
「いえ、東京どすぇー」と答えていました。
いまは食べ物もおみやげも、文化もすべて出所不明の時代。
日本産のサンゴをイタリアで日本の観光客がかってくるなんて、日常、あたりまえの光景になってしまいました。
さて、色の分類をまとめてみあmすと血赤、赤、桃、ボケ、ボケまがい、白、鹿の子(桃に赤の斑点)となります。
さいごにサンゴにまつわる面白い話を一つ。
明治のころ、明石でさかんに屋台で食べられていたものに、今のタコ焼きみたいに鋳型に入れて焼いた「玉子焼き」がありました。
そのころの玉子は黄身しか使わず、高価で、もっぱら大人の食べ物でしたが、ある日、この捨てる白身に目をつけた人がいまして、これに紅を入れ、かちかちに固まらせて、サンゴの真っ赤なにせものをつくり大儲けしたのです。
明石といえばなんといってもタコ。
のちにこの玉子焼きにタコをいれてやわらかいタコ焼きの明石焼となり、昭和の始めになって、さらに明石焼が発展して硬いいまのタコ焼きに変身し、大阪の天満天神の縁日でうられるようになりました。
サンゴのイミテーションのルーツはタコ焼きにあったのです。
時代劇にでてくる町娘のほとんどが、赤いサンゴのかんざしをしていますが、当時はとても高価で、だれでもつけられるというものではありませんでした。明治以降なら、このタコ焼きルーツのかんざしかも、と納得できるのですが。
それから珊瑚の霊力には複雑な人間関係を解きほぐす強い力があります。
なにか嫌なことがありましたら、サンゴを身に着けてみて下さい。
きっと好転するにちがいありませんので。